1993年、自民党が下野し、細川連立政権が誕生することになった総選挙では、自民党から2つの政党が分裂して誕生した。新生党と新党さきがけ。
新生党とは一口で言えば小沢一郎の党で、自民党内・竹下派(小渕派だっけ?)の内紛から生まれたもの、要は権力闘争の産物だった。まあ、ありがちなことである。
しかし新党さきがけはそれとは違った。武村正義、田中秀征といった、自民党内保守リベラルの最良の部分が袂を分かち、見切りを付けて出て行った形になった。これは自民党にはかなりのダメージとなった。議席数云々ではなく、イメージ的に。
分裂したのが新生党だけだったら、「あいつらはケンカして出て行っただけ。厄介者を切り捨てたのさ」と言っていればよかったのだが(事実もそれに近い)、さきがけの場合はそういう言い訳が効かない。さきがけの存在自体が「おやおや、自民党に残っている人たち、本当にそれでいいんですか? ちょっとおかしいんじゃありませんか?」という問いかけだったからだ。
国民新党はともかく、「新党日本」は、展開次第でさきがけ的役割を演じることになる。ポイントは代表の田中康夫だろう。小林興起やら荒井広幸といった人だけでは話にならないが、田中康夫が加わると集団の性格はがらりと変わる(「第二民主党」とかそういうんじゃなくて)。「郵政改革」のイメージで先行した自民党、ちょっとやばいかもよ。イメージしかないから。
でもせっかく田中康夫なんだからもうちょっとましな名前を考えられなかったものかね。これじゃあ日本新党と大して変わらないぞ。